Wednesday, April 9, 2014

頭と心のバランスを考える

こんにちは。小林です。

先日、米国から親友たちが来て、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
数年前からのお付き合いで、遠くに住んでいて歳も離れているにも関わらず、ホントに気が合い、仲良くさせてもらって、僕が米国に行く時も、向こうが来るときも毎回会って色々な所に行ったりしています。

彼らは世界中の誰もが知ってる超有名大学にスカラーシップ(特待生、学費無料)で入ってPh.D(博士号)を取って、その大学や他の有名大学で自分の講義などをしていた、いわゆる「かしこい(頭が良い)」人達なのですが、「あんなのは、ただの時間の無駄だったよ」と言うところが、また凄い(笑)
彼らの周りも、ウィキペディアで検索すれば出てくるIT起業家や有名人・著名人ばかりなのですが、一方で、なにも凄くない自分にも敬意を持って仲良く接してくれる素晴らしい人柄です。
いつも教えてもらうのは、「thinking(考える) よりfeeling(感じる) の方が大事だ」ということ。
膨大な書籍を読み、知識を得て、thinkingを極めた人達から発せられるこの言葉には、本当に深い意味があるな~といつも思っております。

「feeling」と「thinking」
thinkingは頭を、feelingは心を使うと言えるのではないでしょうか。

現代は経済優先の社会なので、thinkingの方が「お金を稼ぐ」という意味では有効な気がします。
商売にfeelingを入れると、上手くいかない事例もあったりします。
ロジカルにthinkingすることも流行ったりしていましたが、まあ要は、経済活動にとっては、
それが重要だってことだと思います。

しかし、彼らが言いたいのは(というか、僕が勝手に解釈している)、人間そのもののfeelingの方が大事であり、コンピューターが発達した現代では、thinkingやremember、knowledge(知識)よりもfeelingこそが、人間が人間としていられるものだと考えていることです。
そして、「心」を無くした「頭」は、暴走する可能性があります。

頭を鍛えることも大事ですが、同時に、それ以上に、心を鍛えないといけないのでしょう。

どちらが重要ではなく、どっちも必要で、要はバランスが大事なんだろうな~と。
しかし、現代ではthinkingに重要性を持つ人が多いから、もっとfeelingを鍛えないと、ただのロボット人間になりかねないんだろうな~と思いました。

彼らと一緒にお寺などに行っても、5時間くらい平気にお祈りをしていたりします。
ここはパワーがスゴイとかなんとか、色々と(feeling)感じている様子です。
よくあるお寺などの紹介パンフレットなども、「どうでもいい」と読みもしません(笑)知識はどうでもイイみたいです(笑)
しかし、お寺や神社に対しての姿勢は、日本人の僕が、いつも勉強させられます。

常に、thinkingとfeelingのバランスと取ろうとしているように感じます。
僕はキリスト教ではないですが、キリスト教の、あの左右、上下に手を持っていく十字架の仕草は、まさに「左、右」と「頭、心」にバランスを保たないといけないかのような意味もあったりするのかな~と思ったりします。

僕は、thinkingもfeelingもまだまだ低いレベルなので、両方をバランス良く、高いレベルに持っていけるように、精進していこうと改めて思いました。

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