Saturday, November 19, 2016

本田宗一郎という天才(2)

こんにちは。小林です。
先々月に続いて、本田宗一郎氏の著書「やりたいことをやれ」から。


若さの特徴 

若い人がエネルギーを思いきり何かにぶつけている姿を、私は美しいと思う。
若いくせに、周囲にばかり気がねして、コセコセとちぢかんで生きている若者が世の中にはたくさんいる。
これでは、若者という名の皮をかぶった老人にすぎない。


ホモ・ファーベル

頭にひらめいたことを、ただちに手を通してかたちのあるものにし、
そのアイデアを実証せずにはいられない人間をホモ・ファーベルと呼ぶそうである。
いわゆる口先だけでいっこうに実行の伴わないタイプの人とは反対の存在だ。


奉仕の心 

学問にしても技術にしても、この世の中のすべてのものは、
人間に奉仕するための1つの手段にすぎない。
だから、単に学問ができる、技術がある、だから人より偉いというのは大きなまちがいだ。


いつの世にも変わらぬもの

いつ、誰が、どこで受けとめても、なるほどと納得できる思想を持つか持たないかで、企業の生命は決まる。妥当かつ普遍的な民族を超えた哲学があれば、その企業は必ず世界へ伸びるといってよい。


「いい子」「悪い子」

世間では、オトナの考え方の枠から飛躍しようとしない子が「いい子」と呼ばれ、
自分の意志を堂々と主張したり個性的な行動をする子が「悪い子」と呼ばれる。
私は、世間でいう「悪い子」に期待している。
そうゆう子どもこそ個性にあふれ、可能性に満ちているからである。


ダイヤモンドクォータリー 創刊号 野中侑次郎氏の本田宗一郎紹介文章より

人生は見たり、聞いたり、試したりの3つの知恵でまとまっているが、
多くの人は、”試したり”をほとんどしない。
ありふれたことだが失敗と成功は裏腹になっている。
みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない。
やってみもせんで。


以上、改めて、本田宗一郎氏の素晴らしさ、人としての器の大きさを感じました。

Saturday, October 22, 2016

自立・独立というもの

こんにちは。小林です。

毎月購読している雑誌「WIRED」の日本版編集長の若林恵氏がVOL25で書かれていた「分散と自立」の中で小児科医の熊谷晋一郎氏の文章を紹介されていたのが印象に残りました。
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho56_interview.htm

一部抜粋*********

一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、様々なものに依存しないと生きていけないんですよ。
だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、”自立”といわれる状態なのだろうと思います。

*************

本当にその通りだと思います。

仕事の場合だと、よく、「独立」に憧れを持っている人たちがいますが、それらの人の多くが見落として忘れているのが、「自分の所属先・依存先が変わるだけの話」って事。
お金の場合だと、あくまで「お金」は人や人が作った製品やサービスに助けてもらう(依存させてもらえる)権利を得る1つの手段だという事。

改めて、「社会(他の人がする仕事)に助けられて生きている」という事を忘れてはいけないな、と思いました。

Wednesday, September 28, 2016

本田宗一郎という天才(1)

こんにちは。小林です。

今回は、みなさんご存知、世界のホンダの創業者、本田宗一郎氏の事を書いてみたいと思います。同氏の事は知れば知るほど面白い。と最近実感しております。今後も色々と書きたい名言が見つかる事が予想されるので、タイトルには(1)とつけさせて頂きました。僕の愛車もホンダですが、乗ってても企業哲学を感じますし、大きなチャレンジをして大きく失敗するところも、なぜか愛着がわきます。おそらくそれは、人間は機械ではなく、作るのも使うのも、血が流れていて情という独特な感性を持つ人間なんだという、信念を感じるからなのかもしれません。
まあ、「機械は人が扱うもの」の思いが強すぎて、機械に任せる自動運転の分野で遅れをとっているところも愛嬌があるというか・・・・

こんな言葉を聞いた事があります。

  はじめから転ぶ歩き方をしないTOYOTA
  転んでもタダでは起きないHONDA

本田宗一郎氏の著書「やりたいことをやれ」から。

  「給料で働いていると思っている人は気の毒だな」

同じく著書「やりたいことをやれ」から。

  市場調査はある意味で有効だと思う。
  既成の製品の評判を探ろうという場合である。
  しかし、独創的な新製品をつくるヒントを得ようとしたら、
  市場調査の効力はゼロとなる。
  大衆の知恵は、決して創意などは持っていないのである。
  大衆は作家ではなく批評家なのである。
  作家である企業家が、自分でアイデアを考えずに、
  大衆にそれを求めたら、もう作家ではなくなるのである。
  大衆が双手を挙げて絶賛する商品は、
  大衆のまったく気のつかなかった楽しみを提供する、
  新しい内容のものでなければならない。

故スティーブジョブズ氏も、本田宗一郎氏のファンだったと聞いておりますが、iphoneはまさに上の文章にピッタリな商品だと思います。

とりあえず、今回はこれくらいで。

Wednesday, August 31, 2016

「お客さん」というもの

こんにちは。小林です。

今回は、「お客さん」といいますか、「お金の役割」を考えてみました。

たまに、「お金を払っているから」という理由で、飲食店やその他の施設で、横柄な態度を取るお客がいます。そうゆう人を見かける度に、「お金を払ったらといって、何でもしていい事ではない。」と思うのですが、これは、ある意味、社会全体が「お客さん」という何かわからない抽象的な人物像を作り上げる事によって出来ている弊害ではないだろうかと少し思います。

人は、何かを作ったりして販売すれば、「事業者」になりますし、何かを誰かから購入すれば「お客さん」になるわけですが、何かを作って販売してくれる人がいない限り、他の人は「お客さん」にはなれないわけで、その逆もしかり。

お金を、「誰かに助けてもらう手段(お手伝い券)」として考えてみると、お互いがリスペクトの関係が保てると思いますが、「買う、受けとる、提供される」という考えになると、どうも「お客さん」が「王様」になったような気になってしまう人もいます。

以前、アメリカの親友が「現代は、”白”と”黒”をつけるような映画をみんなが見すぎだ」と言っていて、確かにどの映画やテレビを見ても”ヒーロー”と”悪”の対決ばかりなような気がします。ある映画で、どちらが正義か戦う2人にある老人が「どちらも同じ神の子だ」と言った事が、それらの本当の意味を表しているような気がします。

「お客」と「事業者」の関係だけでなく、僕たちに根付いてしまっている、「どちら側なのか」とか「良いか悪いか分けたがる」という習慣は案外、厄介なものなのかもしれません。

Saturday, July 30, 2016

領域(視野)を広げる

こんにちは。小林です。

今回は、「領域(視野)を広げる」という事を考えてみました。
自分が今、どこに住んでいるのか、という考えの違いだけでも、
その人の行動や就く職業、考えるビジネスなどに影響するんだろうな~と思います。
ビジネスで例えると、

*○○市に住んでいる

○○市で飲食店ビジネス、地域密着の商売など。

*日本に住んでいる

日本全国に展開する飲食チェーンビジネス、日本国内向けの製品&サービスなど。

*地球に住んでいる

世界中に展開する飲食チェーンビジネス、全世界向けの製品&サービス
ビジネスではありませんが、地球全体の問題に取り組むNGOやNPOなど。

*宇宙に住んでいる

ロケットや宇宙開発のビジネスなど。

色々な領域が人々の生活に重要で、どれをやりたいかはその人次第だと思いますが、なんか改めて、ビジネスって多様性の象徴だな、と思いました。他人との違いが宝になるんだな~と。

Saturday, June 25, 2016

「計画」や「勉強会」を行動と勘違いするべからず

こんにちは。小林です。

以前にこんな記事を読みました。


http://president.jp/articles/-/17255?page=7

「このスローガンとともに稲盛と大田が気になったのは、JALに“言葉遊び”がまかり通っていたことだ。さまざまな「計画」は立てるが、本気で実行しようとしない。いろんな標語があるが、行動はほとんど伴わないのだ。」

ビジネスでもプライベートでも、本当にそうだと思います。
本当の行動は、「計画後」、「勉強会後」、「読書後」であると思います。
それが出来る人は非常に少ない。

今回は短くてスイマセン。

Friday, May 27, 2016

マニュアル化の弊害

こんにちは。小林です。

今回は、僕のお気に入りの動画を紹介しながら、
「マニュアル化の弊害」という事を考えてみたいと思います。
これはスケートボードの神様、ロドニーミューレンのTEDの動画です。



僕も彼の事は本当に尊敬していて、スケートボード界においては生きるレジェンドのような存在です。

今から20年前くらいでは、スケートボードやスノーボードなどのXスポーツと言われる分野はまだまだ発展段階で、技や道具も毎年新しいものが出て、何もやって良い雰囲気があり、とても自由だったような気がします。そうゆう状態においては、スポーツというよりは、もっとアートのような感じで、技やスタイルで自分自身を自由に表現する手段という意味合いが強かった気がします。しかし、ある程度、技や道具が確立されると、初心者はまずコレをやって、それができたらコレをやってと、何か目に見えないレールみたいなものが出来上がります。いわゆるハウツー本もあふれて、新しい技を生み出す楽しみとかではなく、マニュアルに沿って、どんどん技だけがうまくなっていく、まあオリンピックを目指すアスリートのような、論理的に効率的に行うようになってきます。まあそうなると、自由な雰囲気を求める人間にとっては、面白くなくなって、離れていきます。しかし一方で、ビジネスとしての市場が成長していくので、ファッション分野や広告分野などに利用され、これまた、何か自分がカッコイイって事の価値を上げる手段みたいな感覚で始める人も出てきます。
フィギアスケートとかも同じ状況でしょうか。最近は、3回転だの4回転だのばかりを競い、なんかもっと変わった技やスタイルで勝負する人を見ない気がします。

競争自体は否定はしませんが、競争からのプレッシャーで個性や本来の楽しみを忘れ、勝つ事だけに集中していくと、勝った後も虚しさだけが残り、良いコミュニティーも生まれないような気がします。

商売(ビジネス)にも同じ事が言えるのだと思います。他社がどうとかではなく、将来どんな規模になりたいとか、そんなのでもなく、何よりそのモノコトが好きで、成長する過程を楽しみ、人々に受け入れてもらえる努力をし、愛情と覚悟を持って行う事は本当に楽しいですし、自由を感じます。もちろんお金や環境などの制約もあるのですが、その制約の中でどのように上手くやるかは、ミューレンのトリックを生み出す過程と同じなんだと思います。
なので、ビジネスをマニュアル化して学ぼうとするような事は、これからもあまりやらないようにしようと思います。「勝つ」という意味では良いのでしょうが、萎えちゃいそうで(笑)